4)川・水の神系
川は多くの場合、村と外界の境であり、此岸と彼岸を隔てるものである。 三途の川などというものもまた、ここからの連想であろう。 多くの場合、村の結界とも言える「賽の神」・道祖神などの外に川がある。
この世の理の境界にある川に現れた怪異。 それが見知らぬ、あるいは奇異な生き物であれ、異邦人であれ、人はそれを分類・区分し情報処理しなくてはならない。
未知なる情報は、ここにおいて総称・類型としての「河童」というラベルを生み出す。
怪異は「河童」であるという分類が確定された後に、その来歴をたどる事が可能となる。
「河童」という因果の「果」があればこそ、その「因」を求めうるのである。
そしてまた、神も「因」であり、その「因」を産むのは「果」である。 神とは「現象」の子であり、その誕生をもって「現象」の親となる絶対矛盾を孕んだ存在という事も出来よう。
「河童」・妖怪は神の零落した姿であると柳田国男は述べている。
さて、河童は、「かわわっぱ」であり、川にいる童子の如き姿の怪である。 この起源は、死産の子であり、間引かれた子であると述べた。 さらに、童形とは「かむろ」と呼ばれる結髪しない髪型であり「おかっぱ」と呼ばれる姿である。
童子は幼名であり、本来の名前はまだ無い。 成人して初めて名前が与えられ、社会の一員であると認められる。 即ち、「童」である「河童」は社会の一員に加えられぬ存在である事を意味する。
籍の無い民である。
河童は、かわうそであり亀であり、猿である。
さらに、童子であり川の民・山の民である。
そしてなお、魍魎・河伯・水虎など、様々な妖怪・神が融合した存在である。
折口信夫は「ひょうすべ(河童)は穴師坐兵主神(あなしにいますひょうずのかみ)の末であろう」と述べている。
奈良県の穴師坐兵主神社には相撲神社もまた祀られている。
「河童」は相撲が好きというのにはここにも理由がある。
相撲の祖と言えば野見宿禰であり、垂仁天皇に仕えたとされる。
天皇の墓に大勢の殉死者を伴う代わりに、埴輪を埋葬することを提案し、土師連(はじのむらじ)の姓を賜った。 その後、土師氏は代々埴輪製造に関わり、葬礼・造墓に関わった氏族である。
河童を使役したと言われる菅原道真はこの子孫であり、三代前には土師氏を名乗っていた。 葬儀に関わる氏族でありながら賤職である故に、政治の世界に進出した際の改名であるという。 余談であるが、この出自が後に道真の悲劇に繋がって行く事になるのであろう。
ともあれ、ここで河童と菅原道真が繋がる事になる。
さて、「ひょうすべ」の「兵主神」は中国神話の「蚩尤(しゆう)」であるという説がある。
蚩尤は神農神の子孫であり、伝説の黄帝と争った暴神である。 人の身体に牛の蹄、牛の角と四つの目を持ち手足が六本づつあるという。
相撲が好きな軍神であり、産鉄・鍛冶神でもある。 蹈鞴の民を含む河童の祖にふさわしい神ではあろう。 ちなみに、かの魔猿・孫悟空を蚩尤になぞらえた説もあるので、こちらも河童=猿と結びついて面白い。
この蚩尤=兵主を日本に伝えたのが新羅からの渡来民・秦氏であるとされる。 秦氏は技術集団でもあり、製鉄技術などを含む多くの技術をもたらした。 この「技術」には宗教なども含まれるが、ここではその事に触れずに先を急ごう。
蚩尤は暴風雨の神であり、雷神・道真との結びつきはここにも現れる。 天神・道真の別称は「天満大自在天神」であり、インドのシヴァ神の別称である。 シヴァは暴風雨の化身であり、牛の守護神である。
これは、また、スサノオとも繋がって行く。 全てが混合され、混沌と化す。
そして、全ての情報は混同され、神はやがてその出自を忘れられた末に零落して妖怪となる。
駆け足で、河童についての考えを述べさせていただきましたが、河童は複雑であり、けして語り尽くせぬ妖怪であるのです。 いつかまた、改めて補足したいと考えています。
さらに、蛇足ですが、これは「川の怪」としての河童という「説明のメカニズム」とでも言うべきものに対する考察であり、「生物」「存在」としての河童について述べたものではありません。
つまり平たく言えば、「河童の目撃談」などを否定しないよ、という事です。
UMAとしての河童。 これは、出来ればいてもらいたい。 いるならば、第一種接近遭遇などを経験してみたいという気持ちは持っていたい。 そのような思いを失いたくはないと考えております。
再