2009年9月27日日曜日

河童・1



                  (葛飾北斎・河童)

 頭に皿、背中に甲羅、緑色で水かきがあり、相撲とキュウリが好き。
人を水中に引き込み、尻子玉を抜く。
おおよそ、そのようなイメージでしょうか。

 ただ、河童の由来は複雑で、実に多くのモノが混合されている。
本来、「河童」とひとくくりにして扱うのは無理があるように思える。
地方によっての呼び名も、土佐の「しばてん」、福岡・九州の「ひょうすべ・ひょうすき」、北海道では「ミンツチカムイ」と枚挙にいとまがないほどあり、その形状・性格もそれぞれに違う。

 その類型を大きく分けると、
1、川に棲む童子系
2、かわうそなどの動物系
3、山の民・川の民系
4、川・水の神系
とでも分類出来るでしょうか。

 今回は「1、童子系」について考えてみました。

 鳥山石燕の「今昔画図続百鬼」によれば『山川のもくずのうちに、赤子のかたちしたるものあり。 これを川赤子といふなるよし。 川太郎、川童の類ならんか』とある。
ここにおける河童は、童子・赤ん坊の姿をしている。

 さらに、柳田国男の「遠野物語」では『外の地にては河童の顔は青しといふようなれど、遠野の河童は面の色赭(赤)きなり。』とあり、『松崎村の川端の家にて、二代まで続けて河童の子を孕みたる者あり。 生れし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。』と、人間と河童の通婚譚が記載されている。
これなどは、何とも凄まじい描写であり、ここには戯画的でユーモラスな河童の姿はない。

 これらは、過去に於いて、流産した未熟児や、あるいは飢饉などによる「間引き」により川に流された赤ん坊を「河童の児」であるからと理由付けたものであるのかも知れない。
あるいは、子供を川に流した罪の意識が、夜に川から聞こえる怪音や、カワウソ・亀などの姿を誤認させて河童を生み出したのであろうか。

 記紀神話によると、イザナギ・イザナミの神が交わって、最初に生まれた子供は、骨の無い水蛭にも似た醜い水蛭子(ひるこ)であったので、この御子は、葦の葉を編んで作った葦舟に入れて、流し棄ててしまったとある。

 これが、河童の最初の姿であろうか。
すると、河童とは人間の原罪そのものの姿であると言えよう。

 ここにおける河童とは、人間の原罪を顕現した存在であり、そしてその存在はとてつもなく悲しいものではないだろうか・・・・・・。

 

 








2 件のコメント:

mokko さんのコメント...

なるほど・・・
人間の原罪ときましたか。
確かに妖怪とか怪異なんてものには
必ず元になるものがあると思います。
罪の意識と、そこに執着する思いが生み出したものが河童
説得力あります!

miroku さんのコメント...

 mokkoさんへ

 色即是空。 現象を生みだす原動力は意識。
ます最初に「童子系」を持ってきた理由です♪
 ここに、「川童(かわわら)」などが入っていない理由は、発生原因による分類をするつもりだからです。
 ああ…、河童の夢を見そうです…。(*^。^*)