2009年10月18日日曜日

河童・3

                      (山童・やまわろ)

                      (ひょうすべ)


 3) 山の民・川の民系

 動物系の補足にもなるが、平安時代の「怪異」に対する考え方を述べておこう。
「本朝世紀」という、当時の史書によれば、寛和二年(986年)2月16日、御所の太政官において一匹の蛇が発見される。 ただ一匹の蛇が迷い込んだというだけの話である。 しかし、彼らはこの一件を怪異と見て、その吉凶を陰陽師・安倍晴明に占わせている。 同月の27日には、鳩が迷い込み、これを怪異と見て、同じく占ったとある。
 このような記録は枚挙にいとまがない。 動物の常ならざる行動は、それだけで怪異であり、吉凶を占うべきものであると考えられていた事が見て取れる。
 本来、里と異界の境界線である川に、普段見慣れないものがいた。 これは、それだけで尋常ならざる出来事であると考えられたのである。 「本朝世紀」における貴族階級の考えが、即庶民階級の考えでもあったと述べるつもりはないが、この事は頭においておく必要がある。

 ならば、河原に境界の外の人間がいた場合はどうか?
これが、川の民が転じて河童になるメカニズムの根源だ。

 九州地方には、河童の一種である「ひょうすべ」がいる。
かつて太宰府天満宮境内に「兵主部」(ひょうすべ)を祀る祠がある。 菅原道真が河童を助けてやった事があって、その礼に「菅原」の姓の者には害をなさないと約定したという話にちなむものである。
 以来、河童の難に出会った折には「すがわら」と唱えればこれを逃れると言う。 類似の話は各地に残っている。
 佐賀県の武雄市・潮見神社は河童の主人であるという渋江氏を祀っている。 渋江氏は菅原一族の末裔で、祖先に兵部大輔(ひょうぶたいふ)島田丸という人物がいる。 彼は工匠の奉行であり、当時の工匠が人手を欲しがったので、多数のわら人形をこしらえ、これに祈祷により命を与え春日社の工事に使役した。 完成後にわら人形を川に捨てたのが河童の始まりであるという伝承がある。
同様な伝承は、左甚五郎やその他の逸話として多く残されている。

 折口信夫説では、ひょうすべは「兵主神」であろう、平安時代の『延喜式』神名帳には、式内社としてこの神を祀る神社が十九社ほど載っている。 そのうち但馬には七社も集中しており、但馬は新羅から渡来した天日槍(あまのひほこ)の本拠地であり、兵主神もまた渡来人が信仰していた神であろう、とある。
ひょうすべは神の零落した姿ということになるのだが、これについては項を改めて考察したい。

 ここで、注目したいのは、渡来民などの治水技術者集団であり、彼らは当初こそ重要な地位にあるものとして扱われたが、時代を下るにつれて、単に使役される者という立場に追い込まれて行く。
ひょうすべ=河童の原型の一つには、門別帳にすら籍のない彼らが使役され、棄てられたという伝承が関わっていると思える。

 さらに、安倍晴明が一条戻り橋の下に置いた式神なども、河童の原型の一つであろう。 
境界の境に住む人々、瀬鰤する民・サンカなどがこれにあたる。
 沖浦和光氏は、日本の歴史に現れる漂泊民を以下の六項目に分類している。
① 乞食体の僧形で諸国を遍歴する「遊行者」。
②芸能の民であり、祭礼や門付け芸の「遊芸民」。
③「香具師」「世間師」。
④船で暮らす「家船」と呼ばれる漁民。
⑤木地屋・蹈鞴師・炭焼きなどの山の民。
⑥山野河川で瀬鰤り(野宿)しながら、川魚漁や竹細工などで生計を立てる「サンカ」。

 全てが無宿人であり、戸籍を持たない「名前のない民」である。
晴明などは、情報収集や情報戦略に①②③などを使ったのではないだろうか。
無名であり、籍がなく、「公に存在を認められぬ民」こそ、姿の見えぬ式神の正体であろうと考える。
そして、式神もまた、時代を下って河童と混同されて行ったのであろう。

 ⑤の蹈鞴師や⑥のサンカなどは、夏は川に降りて川童・河童となり、冬は山に戻り山童となるという、河童の生態と生活パターンを同じくする。
蹈鞴は冬場に産鉄業を営み、夏場にはその一部が田畑の仕事などに従事する。
サンカは、夏場に川魚漁をし、冬場に山で竹細工などを行う。

 時に於いて彼らは理不尽な扱いを受けたであろう。 あるいはささいな理由で殺傷される事もあったかも知れない。 歴史が勝者によってのみ作られるものである以上、勝者の罪は常に転化される。 差別され、虐げられたのは、彼らが人ではなく河童であったからと伝承される所以である。

 追記すれば、サンカがスッポンや亀を背負って歩く姿を描くならば、甲羅があると誤認する場合もあろう。 あるいは、彼らが売り歩く笊などを背負う姿もまた、画にすれば甲羅のように見えるかも知れない。

 河童は多くのものが混同されているので、ここに記した事はその一部に対する考察に過ぎないが、ここに於いても、河童の起源は悲しい・・・。

2 件のコメント:

mokko さんのコメント...

あぁ~ここまで説明されて
怪異の謎の1部が見えてきて
嬉しい反面、やっぱり河童は本当にいて欲しいという
期待が捨てきれなかったりもします
でも勝者に都合よく改ざんされた歴史も
実際にあることだろうし、悲しい話が元になってるのは
つらいですねぇ~

miroku さんのコメント...

 mokkoさんへ

 次はいよいよ、神の変遷です♪
河童は悲しい・・・、けれどこれはUMAとしての河童ではなく、歴史に現れる河童についての考察。 私も河童がいて欲しいし、存在の可能性などを否定する気はありません。     「Myu's…」の方のmiroku的に言うなら、「ふふふ・・・、今度探しに行くのだあ♪」
               (^◇^)