2009年12月19日土曜日

平将門伝奇考・6 伝説Ⅴ

 さて、首塚を巡る謎については、ここで一旦おいて、伝説の話に戻ろう。

 まずは、将門の首を巡る伝説だ。
京都市下京区に、「天慶年間平将門の首を晒した所也」と由緒書きのある小さな祠がある。
関東で討たれた将門の首は、塩漬けにされて運ばれ、この地で晒されたのであろうか。

 討たれた将門の首は、かっと目を見開き、俵藤太に喰らいつこうとしたしたという伝説がある。
また、京の都に運ばれた首は、晒されてもなお萎びるどころか、活き活きとしており、目を見開いたまま夜な夜な「私の身体はどこにあるのか。 ここに来い。 首をつないでもう一戦しようぞ!」と叫び続けたという。
そこで、歌人・藤六左近が呪の込められた歌を読むと、首はからからと笑い、たちまち朽ち果てたという。

 また、将門の首は、東国を目指して天空高く飛び去ったという伝説もある。
この首が途中で力尽きて地上に落下したとされ、各地に首塚伝承が伝わる。
その最も有名な場所が、千代田区の首塚である。

 「ならば、あの首塚の祟りはどういうことだ?」という疑問を論じるのは、後にして、この項を続けよう。

 この首塚についても「太平記」の記述によると、京都の七条河原で晒された首は、関東に残した愛人・桔梗を慕って飛び去り、現在の首塚がある場所に落下したという記述がある。
こちらは、怒り狂う首の話に比べて、かなりロマンチックである。

 この話には、現在、首塚の近くに、桔梗門や桔梗濠があるのはその名残であるという後日譚まであるのだから、良く出来た話ではある。
私としては、個人的な思い入れから、この伝説を支持しい気がする・・・。

 また、この伝説とは全く趣を異にするものもある。
こちらの将門は、その目に二つの瞳孔を持ち、全身は黒鉄、逆巻く髪で口からは言葉と共に火を吐く大男であった。
その身体はいかなる刃物も通さぬ魔人の如き存在であったという。

 こうなるともうミノタウロスのような怪物である。 (余談だが、このミノタウロスと将門は附合する部分が別にある、これは後に述べる)
この怪物・将門の弱点がコメカミであると、俵籐太と通じた桔梗御前が教えたのが原因で、将門が討たれたという伝説である。
ふむ、これでは「桔梗恋しさ」で将門の首が飛び去ることはないだろうなと思わされる話である。

 もっともこの首塚伝説というのは、将門オリジナルという訳ではなく、木曽義仲・楠正成・明智光秀など、非業の死をとげた人物にはつきもので、一説にはその数は全国で100基を越えると言われる。
蘇我入鹿などのように、首が飛び去り奈良高見峠に落下して塚が築かれたという伝説も多い。

 

2 件のコメント:

mokko さんのコメント...

いつか出てくるかと思っておりました桔梗!
関東の某地では「桔梗」が裏切ったために将門が殺されたってことで
庭に桔梗は絶対に植えないし、桔梗は花をつけないとか・・・
そんな信仰を持ってる地域もあるんですよね?
前に調べたことがありました。

いや・・・薬屋探偵の2巻にもチョロっと出てくるんですけどね・・・
知ってる話しが出てくると興奮しますねぇ~(p^_^q)

miroku さんのコメント...

mokkoさんへ

首塚にも桔梗は供えませんね。 この理由も、mokkoさんの言うようなものと、単純に桔梗御前への配慮という両端の説があるようです。
そして、何故か蛙の像がある♪
理由は不明だそうです。 ふふふ・・・、私はこれも説明出来ると考えている♪
もう少し伝説に触れてから、じんわりとそっちの方向に・・・、ああ、楽しくなってきた♪
ちなみに、歴史・伝説で書いた事は、全て後に必要になると考えた事例です。
問題は、私の力量でまとめ切れるかどうか・・・だな。