唯一、「将門記」が存在するのだが、これとて散逸した部分もあり、さらに現存する二冊の写本にも、部分的に記述の相違がある。
さらには、「将門記」自体が、12世紀に書簡をまとめたものであるとする説もある。
その他には、「太平記」などに記された二次資料が存在するのみである。
そして、これらの中には、将門とタタラの関係を暗示する言葉はあっても、直接の関わりを示す文章はない。
しかし、将門の放牧場が調査された1981年に興味深い発見があった。
放牧場の南端から、二基の製鉄炉が出土したのである。
鉄のこびりついた炉壁、数トンの鉄かす、さらに蹈鞴に使われるふいごの破片が見つかったのだ。
それ以前から、伝説や縁の神社・仏閣の関係から、将門とタタラの符合については、多くの人が指摘してきたのだが、実証は不可能のように思われてきた。
しかし、関係はあったのだ。
そして、この事は実に多くの意味を持ち、歴史・伝説の謎の部分を解き明かす鍵となる。
その事については、最後にまとめとして述べたいと思う。
次は、将門にまつわる神社・仏閣について書こう。
そして、江戸の鬼門封じ・風水との関わりについて書いた上で、私の考えをまとめたいと思う。
2 件のコメント:
本館ブログの記事を読んだら
ものすっごく楽しみになりましたよ。
着地するところがあるってのは
やっぱり安心感ありますねぇ~
書いていても、楽でしょ♪
こちらは待ってるだけでもっと楽なんですけど
それでもやはり将門はダダではすまない人なんですねぇ~
次も楽しみです。
どんなものが飛び出してくるのか
言葉の隙間を突っつくように読まなければ(* ̄_ ̄)9
mokkoさんへ
すっきりと、一本の糸が見えます。
もう、楽しくってね♪
それだけでなく、将門=タタラ=河童というのもあるしね。 さらに、酒天童子にまで影を落とすと言う説まであり、将門伝説は本当に面白い♪
実は、少しだけ晴明も絡んでいるのですよ。まあ、そこまでは書けないかもしれないけど・・・。
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