2010年1月11日月曜日

平将門伝奇考・10 江戸の地霊

 将門の首塚のある柴崎は、現在と違って江戸湾が内陸に入り込んでいたために、当時は海辺に面していた。
そのため、洪水や津波の被害が多かった。
それらの被害の全てが将門の祟りであるとされたため、安房神社に合祀された。

 伝説では首が飛んできた・・・となるわけだが、実際は将門の家臣の依頼により、僧侶が京に上り首を貰い受けて来たといわれる。
そして、神田山の胴体を掘り出して首と共に供養した。

 これが神田神社の起こりであると言われるのだが、事はこれだけでは終わらない。
江戸時代に入ると、柴崎の地は大名屋敷になり、天海により再び首と胴体が離れ離れにされる事になる。
柴崎の地に首塚を残して、神田神社は現在の地に移転される。

 何故、全てを移転しなかったのだろうか?
首塚は、江戸城の正面玄関・大手門の正面に残されたのだ。

 そして、江戸の都市は、江戸城を中心に、時計回りに堀を巡らせて開発が進められる。
さらに、江戸城を中心にして、東海道・甲州道・中山道・奥州道・日光道の五街道が配される。
堀と街道の交点にには橋を架け、見附と呼ばれる城門が設けられた。

 これが江戸の都市開発の基盤となるのだが、奇妙な事に、街道と堀の交点には全て将門ゆかりの神社が配置されている。
大手門前には首塚が、ここは奥州道の起点であり、さらに浅草橋門前には将門の手を祀った鳥越神社がある。

 日光道には胴体を祀った神田神社、中山道・牛込門には足を祀った筑土八幡神社、甲州道・四谷門には鎧を祀った鎧神社、東海道・虎ノ門には兜を祀った兜神社がある。

 街道と川・堀の交点はまさに境界を示すポイントである。
ここに祀られるのは通常、道祖神であり即ち塞(さえ)の神。
異界より侵入せんとする悪鬼を遮る神である。

 将門の霊は、江戸の地霊として鎮魂されると同時に、江戸の守護神たる役割を担わされたと言えよう。
家康・天海により、江戸の都市計画に将門は地霊として組み込まれたのだ。

 神社によっては、正式に将門を祀神を加えていない場合もあるが、これら全ての神社が「将門公を祀る」と公に認識されている。
神田神社の祭神は大己貴命・平将門・少彦名命、鳥越神社は日本武尊・天児屋根命・徳川家康、筑土八幡神社は応神天皇・神功皇后・仲哀天皇、鎧神社は日本武尊・大己貴命・少彦名命・平将門、兜神社は倉稲魂命(うたのみたま)・大国主命・事代主命である。
 これらは、ごく大雑把に言えば全て国家鎮護に関わる神と考えれば良い。
即ち、江戸を守護する神社と考えれば良いだろう。

 さらに神田神社は天海によって江戸の総鎮守という、最高の社格まで与えられている。
江戸の守護神として祀られた平将門。
では、何故将門が祀りあげられたのか?
次回は、いよいよその考察をしよう。


 

2 件のコメント:

mokko さんのコメント...

困った・・・
アメブロの他のブログの更新情報が届いていなかった。
またも1週間損をしました。

っていうか、なんかもの凄い話になってますよぉ~
祟りだと騒いでいながら、実は守護神?
将門を祀ってるのが、そんなにたくさんあることも知らなかったのに
エライことになってます!
うわぁ~面白い!メッチャ面白い!
(((o(^。^")o)))ワクワクします!

miroku さんのコメント...

mokkoさんへ

いや、これは11日に書きかけのまま保存して、UPしたのは17日です。
(*^_^*)

これは将門がらみの神社の一部ですね。
関東で、将門は異常に人気がある。
その理由は・・・次回書きます♪
で、mokkoさんの言っていた「北斗七星配列」というのは、今回書いた神社も含まれるのですよ。
そのあたりも、少し触れます。
さらに、将門を含む、江戸の結界というものも存在して、これには日光東照宮なども含まれる壮大な結界をなしているのですが、これはまたいずれ・・・ですね。