2009年12月20日日曜日

平将門伝奇考・7 伝説Ⅵ

 将門が討たれた場面は、額に矢を受けた、あるいはこめかみに矢を受けたと描写される。
どちらでも同じようなものではないかと言われそうだが、こめかみとなると場合によっては状況が変わってしまう可能性があるように思う。
 
 正面の敵に対して、将門が横を向いていたことになるのだ。
無論、戦場での指揮のため、横を向いて指示したという事も考えられる。
だが、正面を向いて戦っていたならば・・・。
 この場合、横にいる人間が射た矢であるということになり、将門は味方の裏切りにより殺されたという想像が成り立つ訳で、そう考えると定説が根本から覆ってしまう。
無論、これは私の夢想・妄想であって根拠はない。

 この矢に関しても、何種類かの伝説がある。
一番有名なのは、朱雀天皇の命により下向した寛朝僧正が、成田山新勝寺にて祈祷を行い調伏にあたったというもの。 この祈祷により風向きが変わり、突風がおこり将門の馬が棹立ちになり、無防備になったために矢が命中したという。
ちなみに、将門の子孫や地元民にはいまだに成田山に参詣しない人も多いと聞く。

 俵籐太が魔除けの唾を塗った矢を射た。
この矢が、将門の弱点であるこめかみ又は眉間を射抜いたために、将門は倒されたという伝説もある。
この話には前日譚というべき話がある。

 都より下向する折に、俵籐太は琵琶湖の瀬田大橋を渡ろうとした。
ところが、瀬田大橋には長さ20丈(約60m)もの大蛇が横たわっているために誰も渡れない。
しかし、籐太は委細構わずこれを跨ぎ渡った。
すると、そこに美女が現れ、「自分は先ほどの大蛇である。 実は、棲みかの三上山に毎晩大百足が現れて、自分の娘を食べてしまう。 この大百足を退治出来る勇者を探すために、瀬田大橋に横たわり、肝の据わった人物を待っていた」と言う。

 籐太はこの願いを入れて、大百足退治に乗り出す。
そして、大蛇に教えられた通り、大百足の弱点である眉間に魔除けの唾を塗った矢を射てこれを滅ぼした。
実は、大蛇は琵琶湖の竜王の娘であり、この後籐太は琵琶湖湖底の竜宮で歓待を受け、宝物を貰ったと言う。

 このエピソードは、将門が討たれる場面と妙に符合する。
それは、魔除けの矢と眉間という表面上の事だけでない。
将門と百足には深い関係があるという考えがあるからだ。

 百足=将門。
次回は、これについて考察してみたい。

 

2 件のコメント:

mokko さんのコメント...

( ̄O ̄;アッ!
見逃していた・・・
1週間損した(-。-;)

こんな伝説知りませんでしたよぉ~
こめかみと眉間ってのは、どこかで聞いたことありますが
表面的なことしか知りませんでした。
色んな説があるものですねぇ~

百足の話も大いに興味があります。
しかし、武勇伝が伝説になるってのはよくある話しですが
本人の話しが伝説として一人歩きしてるのって
将門くらいじゃないですか?
だから楽しみなんですけど・・・(((o(^。^")o)))ワクワク

miroku さんのコメント...

mokkoさんへ

実は将門についての歴史資料は少ないのです。
「将門記」とて、12世紀に集められたもの、という説もあるのです。
でも、「将門伝説が独り歩きしている」というのは、さすが鋭い!
今回の考察の主眼は、なぜ独り歩きしているのか?
怨霊、鬼門封じについても書きますが、最終的にはmokkoさんの指摘した点に関する部分について私見を述べるつもりです。
理由は、あるのです!(^◇^)